舞台裏

萩尾望都の新しい筆

iPadを使って遠隔作業で描かれた、「ガリレオの宇宙」の創作インタビュー。

萩尾望都さんは、1969年にデビューして以来、50年以上創作を続けているマンガ家です。2020年1月にイタリアの首都ローマに赴き、ガリレオ・ガリレイの生涯を描いた、App Storeで掲載するためのオリジナルマンガ「ガリレオの宇宙」を創作しました。

iPadと作画Appの「Adobe Fresco」という新しい筆を使って、最新作を描いた萩尾さんに、その創作秘話を聞きました。

デジタル作画App という新しい道具

萩尾さんは、以前からiPadを使って、デジタルでイラストレーションを描いていました。ですが、本格的にマンガの全工程をデジタルで作画したのは、今回描きおろしたオリジナルマンガの「ガリレオの宇宙」が初めてです。

「元々デジタルでの作画に興味がありました。今回初めて、下書きから完成まで全編デジタルで描きました。新しいことを手探りで覚えながらやっていくのは大変でもありましたが、うまくできた時に喜びがありました。iPadとApple Pencil一本ですべてができるのも面白かったです。作業を始めてみると大変でしたが、初めての全編デジタル作画は新しいことだらけで、楽しい作業でした」

新しい筆の特徴や、できる表現を描きながら探求していったそうです。

「『Adobe Fresco』にはたくさんの筆、描ける線の種類があるので、作品に合った線を見つけるのも、あれやこれやと試行錯誤して、楽しかったです。選ぶ線一本で、人物の印象が、柔らかくなったり、固くなったりします。色もそうですね。どのペンを使って塗るかで重い服になったり、軽やかになったり。『Adobe Fresco』は水彩の表現がとても美しいので、淡い霧の感じや、透けた空の透明感などが出せて、良い感じに表現できました。レイヤーを重ねると、透け感もまた違ってくるし、デジタルは何でもできるなと、感動でした」

「Adobe Fresco」はiPadで使えるAppです。

長く描ける 細く描ける

これまでの紙での作画と、デジタルでの作画の大きな違いは、作画時の身体的な負担だったと言います。

「デジタルで描いて一番良かった点は、ペン入れの時の筆の軽さですね。本当に、腕が疲れませんでした。いくら描いても、疲れないのが、何より良かったです。もしもアナログで、今回の原稿を描いていたら、3倍から4倍の時間がかかったのではないかと思います。1日中描いていたら、もっと目に疲れが出るかと思っていたのですが、目の疲れはアナログと同じぐらいでしたね。ペンが軽いので、手に負担はほとんどありませんでした。少し腱鞘炎気味の私には、手の負担がないのが、何よりでした」

デジタルならではの機能を使うことで、描き直しの作業もやりやすかったと言います。

「人物を二人、並べて描く時、アナログの時は並んだ人物の大きさをそろえるのに結構苦労して、何度も、合わせるために描き直すのですが、デジタルは微調整すれば、無理なく人物のサイズを合わせられます。微調整できるのは、デジタル作画の素晴らしいところですね。そして、失敗してもすぐに描き直せる。何より、消しゴムをかけなくても良いのです。レイヤーを閉じれば済みます。アナログの時は消しゴムをかけすぎて、紙がけば立ってしまい、色が濁ってしまう失敗がありましたが、デジタルはそういうところがなくて、失敗を恐れなくなりました」

リモートでの創作 拡張する仕事場

萩尾さんだけでなく、創作を支えるアシスタントたちもデジタル作画に移行したことで、リモートでの作業も円滑に進められました。例えば、写真やイラストレーションの色を抽出してくれる「Adobe Capture」や、ファイルを保存や共有できるクラウドストレージの「Box」も活用したと言います。

「デジタル作画は、それぞれが自宅にいて仕事ができるのが良かったです。絵に主線のペンを入れて、人物や背景それぞれの色を『Adobe Capture』で指定したものを、ファイルを共有するために『Box』に入れて、アシスタントに指示して描いていただきました。アシスタントが作業してできあがったものを、再度『Box』に入れてもらい、こちらでチェックして、修正があれば、また修正を指定したものを『Box』に入れる、この繰り返しで進めました。アシスタントたちも描いてるうちにどんどん腕が上がって、ここはこうしましょうか、など、積極的なアイデアを出してくれたのも良かったです」

街の色をAppで読み取り 色を共有する

「Adobe Capture」はローマの色彩を表現したり、人物の色を設定したりする際にも活用したと言います。

「『Adobe Capture』のカラーパレットで、キャラクターの肌や洋服の色をスタッフ全員で共有できたのは助かりました。たくさんの色彩が入るので、重宝しました。色彩も微妙な色合いの違いが、きれいに出ます」

カラー原稿の描き方

実際に、「Adobe Fresco」を使って、どのようにカラー原稿を完成させたのでしょうか。

「主線はベクターブラシのテーパーで描きました。紙にペンで描くよりずっと軽くて描きやすかったです。カラーはライブブラシの水彩を使っています。とにかくカラーがきれいで感動しました。デジタルは何度も書き直しができるのがいいですね。試しに色を置いてみて、イメージと違っていたらすぐ塗り直せますし、何通りもの色の組み合わせができます。意外なぼかしの加工ができたり、少しサイズを大きくしたり小さくしたり、絵をくっきりさせたりと、絵全体の構成を作るのも、面白かったです」

表現を拡張する

試しながら探求できることで、構成にも新しい表現が生まれたと言います。原稿の仕上げ作業では「Adobe Photoshop」も使用しました。

「画面が明るくて、拡大縮小もできるので、特に目の中の光など、細かいところを拡大しながら描けますね。また、教会などで窓から差し込む光などは、アナログで描くと一発勝負のところがありますが、デジタルで描くと光のレイヤーを作って重ねればいいので、存分に構図が考えられましたね。今後も活用できたらと考えてます」

「Adobe Photoshop」はiPadで使えるAppです。

iPhoneやiPadで縦にスクロールして読む、カラーのマンガというフォーマットに合わせて、物語の構成自体も変化させました。

「縦スクロールは、目線が上から下に流れるのが特徴として一つあります。それから、画面自体が動くのと、その結果1コマの画面を見ている時間がアナログより短いという特徴もあります。アナログマンガは動かない画面の上を、目線が動いて、物語を追っていきますが、スクロールの場合はその動き方が微妙に違いますね。なので、とにかく、目線を誘導するというよりは、目線の邪魔をしないように物語の構成を工夫しました。なるべくシンプルに描くのと、画面上に曖昧なものを書かないようにしました」

新しい道具を使って、新しい表現を生み出していく。萩尾さんの創作への熱意は、新しい筆という翼を得て、その表現をさらに広げていきます。

萩尾望都さんが描いたオリジナルマンガ
「ガリレオの宇宙」とインタビュー後編